柔道は哲学、人生の勝負に勝つ

■柔道は哲学、人生の勝負に勝つ

後輩たちに言いたい。『早起きは三文の得』と先人が言っていたが、現在の言葉に直せば『早起きは3億円の得』となる。早起きは寝坊とは違う別の豊かな人生を保証する。人より先に一日が始まると言う事は『先んずれば人を制す』の実践である。松山大学柔道部は昔も今も早起きから一日が始まる。もう50年近く前になる。松山大学柔道部部員たちは県警本部(現在の県庁西隣りの堀之内公園の場所)の駐車場にAM7時に集合することから一日が始まった。県警機動隊の柔道部の皆さんと合同で早朝トレーニングが行われていた。準備体操の後、一番町電車通りからロープウエィ街を駆け足で松山城登り口に向かう。『イーチ・イーチ・イチニソーレ』軍隊の様な掛け声での駆け足だった。今は亡き監督の八木隣一先生は自転車での伴走だった。

東雲神社の階段では兎跳びをしたりダッシュをしたり、おんぶ登りをしたりして汗を流した。階段で立ち止まるものなら尻を鞭でしばき上げられる。そのあと城山の長者ヶ平まで登り、一人一人瀬戸内海に向かって『トリャー・ウオリャー』などと気合の大声(奇声)を出す。私の大声はあの時から始まっている。馬鹿げたナンセンスな行動だが、馬鹿になりきると言う意味で後年のストレス社会の免疫になったと思っている。その後、平和通りを駆け足しで本町から西堀端に曲がる。西堀端では馬跳びや横走り、手押し車などを行い、南堀端を走り、再び県警本部に戻る。

そのコースは現在における私の毎朝のパトロールの標準コースである。県警本部に戻り、大木の枝に吊るされた縄を使って綱登り3回、結構きつい特訓だった。県警本部に集合する往復の道のりだが、先輩の下宿に寄り自転車の荷台に先輩を乗せての集合だった。ロープウェイ街の帰り道は登り坂でになっており2人乗りは特にきついモノがあった。朝飯を食べたらバッタンキュー、午後4時半からの本番の練習の為に体力を蓄えておかなければならない。

このような一見無駄の様な不合理なあの経験は是か非か。果たして価値はあったのかどうか。社会人になって気付くことだが、世の中、思い通りの生き方など出来ない。納得できないことばかりだ。職場から逃げ出すわけにもいかず幾ら辛くてもそこで頑張らなくてはならない。昔から『若いときの苦労は買ってでもやれ』と言われているが私達は柔道部で辛抱を知った。自分の意思(自我)を殺す術を知った。我慢する術を知った。苦痛があってもギブアップはしない根性を身に着けた。忍耐力を創ると言う意味では現在の価値で100万ドルの価値はあったと思う。私はあれ以来、50年近くになるが気が緩むことなく規則正しい生活が続いている。就職しても自営業者になっても早起きは続けている。今日の毎朝のパトロールはあの時の朝練の延長線上にある。私の規則正しい生活習慣はあの時から始まっている。誰の人生でも『早起きは3億円の得』となると私は思っている。つづく

■柔道は哲学2、人生の勝負に勝つ
つづき
現在の柔道の公式試合で首を絞められて『参った!』で勝負が決まる光景を見る。当時の練習で首を絞められて『参った!』しても許しては貰えなかった。ましてや試合で『参った!』などもってのほかであった。絞(しめ)殺されても『参った!』は許されなかった。失神しても絶対にギブアップしてはならなかった。関節技は折れてしまえば次の試合が出来なくなるから『参った!』が許された。絞殺されても絶対にギブアップしてはならないという精神は社会人になって随分役立ったと思っている。そんな柔道部を遣り抜いたOB達は義兄弟を越えて戦友の様な関係です。柔實会(松山大学柔道部OB会)会員はそんな堅い絆の仲間たちの集まりです。

50年前、私達の学生時代から現在に至るまで柔道部員は先輩達に支えられていた。試合前には栄養会と称して先輩の自宅で御馳走を戴いた。私も新婚当時、学生達を自宅に呼んで肉を馳走した。後輩達に飯を食わせることが先輩の義務だった。遠征費の補助や差し入れなど先輩のありがたさをつくづく感じたものだ。現在においても後輩たちを支援する年会費が学生たちとの絆となっている。先輩を頼り後輩に頼られる。人から与えられ人に与える。人と人との絆のありがたさを知る。同志である仲間たちと苦楽を共にする。貴重な経験だった。小さな社会勉強だったと思う。

現在の後輩達も早朝トレーニングは続いている。彼らもまた50年前の学生と同じ思いで走っていると思う。早朝トレーニングなどナンセンス、ゆっくり眠っていた方が体力が付くと思う者もいると思う。『朝練を止めるわけにはいかんのだろうか。何でこんな無駄なしんどい思いをせにゃあならんのだろうか。』先輩からの制裁が怖いから辞められない。学生達にこんな反発心はあると思う。歳の離れた後輩達に言いたい。『朝練は止めてはいけない。就職した時気付く筈だ。君の人生にきっと役立つ。』質問された全ての先輩は異口同音に言う。『あの朝練は社会人になってきっと役立つ。』と。

鹿屋体育大学の濱田初幸教授(松山大学S53卒・柔道部OB)から聞いた話だが、柔道の盛んなフランスでは柔道で『問答』という言葉があるそうだ。あの禅問答の問答である。柔道家の資質を高める為に問答の意義を紹介している。一般的にスポーツでは健康な肉体を作り健全な精神を創ると言われている。日本柔道では行儀作法(躾教育)の為とか礼儀正しい日本男児を創ると言う大義がある。苦難にくじけない忍耐力を叩きこむとか、戦ったら負けない根性を養うという大義がある。しかしオリンピックを目指すような選手は別として、一般の部員たちは柔道の意義に気付いているだろうか。

 何のために強くなる。何のために戦う。勝った先はどうなる。勝負事においては全員が勝者にはなれない。2人に1人は敗退して行く。しかも避けて通れない引退の時が来る。すべての部員が柔道で飯は食えない。ボランテアで柔道指導者を続けている人もいるが趣味で飯は食えないのだ。フランスでは問答を通して柔道をする意義を模索している。私は意義を『柔道は人生の勝負に勝つ哲学を学ぶ道場である。』と思っている。日本でも父兄を含めて柔道をする意義を問答(対話)によって納得させる必要があると思う。

■柔道は哲学3、人生の勝負に勝つ

つづき
学生時代は柔道部全員でアルバイトをよくやったものだ。興業の手配師O社長(裏社会の人)の世話だったと思う。O社長への口利きの先輩は警察から裏会まで色々な人脈があった。喧嘩神輿のかき手のアルバイトだったり、ホリディオンアイスのスケートショウの裏方のアルバイトだったり、プロレスの会場作りに雑用係をやったものだ。工事現場の緊急作業要員をやったり、ひどい時はミカン摘みもあったと思う。アルバイト代は柔道部の遠征費などの部費になった。働いた本人は一銭も貰えなかったと思う。柔道の練習の辛さよりはましなので先輩に使途を追及する者や文句を言う者はいなかった。

もっと強烈だったのは、直接お金を集めて来いと言うものだった。先輩の職場を訪問し、寄付してくださいというものだった。ロープウエィ街などは軒並み訪問して遠征費の寄付のお願いをした。叱られたり褒めたりしてお金集めをした。自分個人の利得でない為に頭を下げることをあの時覚えた。自分の為ではないことに頭を下げれることは素晴らしい勇気のある行為です。先輩に輸血がいると言う事で献血も強制された。それ以来献血は65歳まで140回くらいの献血回数になっている。私はポジティブに考えている。献血は造血中枢を刺激すると言う意味において今の私の健康増進活動の一つになっていると思っている。

厳しい練習はいじめや制裁など暴力行為と紙一重だった。先輩の指示命令は人権蹂躙など不法行為と紙一重だった。当時も今も人間は『清く正しく美しく』なんて生きていくことはできない。ビジネス社会において正義と不正は紙一重である。人生は納得できない事ばかりです。汚れた汚い社会と無縁で生きていくことなどできない。邪悪に巻き込まれる危機は常にある。身に降る火の粉は払わなければならない。振り返ってみると、若い時、不自然で不合理な汚い大人社会を見る事も、顰蹙を買うような体験もすべて生命力の肥やしになっていると思う。

汚い辛い不合理な経験によって、少々のことでは驚かない鈍感力(受容力・忍耐力)になっている。その後の人生の勝負には邪悪を受け止め邪悪に負けない悪知恵として随分役立った。そういう意味では今の柔道部の学生はかわいそうだ。未成年だから酒はダメ、危険だからバイトはダメ、惨めな思いの寄付集めなどもってのほか、裏社会と関係する神輿担ぎなどもってのほか、『まじめに柔道だけやっておけばよい。』となっているように思う。温室育てになってはいないだろうか。社会に出れば世の中そんなに甘いものではない。世の中の荒波に負けない為の訓練こそ大事ではないだろうか。

 柔道が強くなるには誰にも負けない努力が不可欠です。努力と勝利は表裏の関係にある。社会人になっても同じである。試練と成功はコインの裏表の関係である。苦労というコインの裏側には幸せと書いてある。甘えというコインの裏側には不幸(残酷)と書いてある。成功は試練と言う船に乗らねば手に入れる事はできない。幸せの手紙は苦難と言う目録の入った封筒で届けられる。大きな富は地獄の入口あたりに隠されている。人生『良いとこ取りだけ』などは許されないことになっている。嫌なこと苦しいことを体験すいればするほど大きな人間になれると思う。 完      柔實会会長 二宮秀生