会長挨拶

平成28年度柔實会会誌投稿文

『年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず』 柔實会会長二宮秀生 

唐代の詩人、劉希夷と言う人の『白頭を悲しむ翁に代わりて』と題する詩の第4節にある部分です。中国ですから桃(もも)か李(すもも)の花を見て人生のはかなさを詠っている。『毎年毎年、花は変わることなく咲き、そして散る。昔の愛人はもはや洛陽にはいない、今のこの季節、昔のあの頃のように若い恋人同士が風に散る花を眺めている。思えば、寒い冬が終わって春になると、あの頃と同じように花は美しく咲くけれど、一緒にこの花を見た人はもはやこの世にはいない。若く美しい君達に云っておく。若いと思っているがすぐ年老い、黒い髪も白くなってしまう。歳月は待ってくれないぞ。』と若者を戒めている詩である。

日本では花と言えばソメイヨシノ桜の満開を言う。満開の桜の下では天国にいる様な感動を味わう。花は毎年同じように咲くけれど、それを見ている人は決して同じ人ではない。青年老い易く学成り難し。学生時代柔道着で松山城の桜の花の下にいた私だが、学問は中途半端のまま、人格的にも悟りの域に達することもなく、気が付けば押しも押されぬ初老になっている。藤井徳次郎柔實会初代会長が亡くなって久しい。三代目柳澤正三会長が亡くなって間もなく7年が来る。あれから四十五年、毎年同じように新入生が入部して歓迎コンパを行い、学生たちは毎年同じように中四国学生柔道大会の試合に臨み、泣いて笑って追い出しコンパで卒業していく。OB達もあの頃と同じように学生たちと関わる。同じ光景であるが学生もOB達も顔ぶれは変わっている。そして私達OBもいずれ居なくなる。

時代は変わり顔ぶれは変わっても変わらないものがある。いや変えてはならないものがある。先輩たちから受け継いできた松山商科大学建学理念と柔道修業理念である。松山大学の校訓・三実主義(真実・実用・忠実)は世界に通じる普遍的成功哲学だと私は思っている。校名は松山高商から松山経理専門学校、松山商科大学を経て現在の松山大学に校名を変更している。商科その名の通りわが母校は実業家であった新田温山(長次郎氏)が新時代の実業家(商売人)とその指導者となるべき若者を育成する為に建学されたものである。校訓における①真実は洞察力だと思っている。人間として何が正しいか、永遠不変の真理・道理・正義とは何か、商売人として正しい洞察が必要だと言っている。②実用とは実践すること。学問とは格物致知・事上の練磨、学ぶこととは実践すること、学んだことを更に高めること。使わない知識や使えない人脈は無いのと同じだと言っている。③忠実とは信用である。弱肉強食の市場原理の中であっても商売の原点は信用である。節操を失わず人間として真心のこもった付き合いが大事だと言っている。私はこの三実こそ世界に通じる成功哲学だと思っている。

先輩たちから受け継いできた松山大学柔道部修業理念は何か。その昔、嘉納治五郎が講道館柔道を創設したことと重なる。今の学生たちに言いたい。一に勉強二に柔道である。学問こそが身を助ける。今も昔も教育水準のレベルが収入のレベルとなっている。明治維新後、元士族の子弟たちが現在の東京大学で学んでいた。治五郎は元士族の子弟たちの横暴を見て、知識という学問(東大卒)だけでは人間としては半人前、文武両道が不可欠であることに気付いた。学問の習得で不足するものを柔道で補おうとした。柔道修業の目的を精力善用・利他共栄とした。強くなる事が出発点にある。柔道の修行を通して身体を鍛錬し精神を修養する。勝ちっぷり負けっぷりを学び惻隠の情を学ぶ。柔道修行の究極の目的を、技の練磨と心の練磨を通して、自己を完成し、世のため人のために尽くすことであり、社会に貢献できる若者をつくることであるとした。

昨年八月三十日体重別団体優勝大会(団体戦)が愛媛県武道館で開催され、歴史的敗北を喫した。監督とコーチ、学生たちも先輩方もあの時の悪夢を引きづっている。結果は結果として受け止め悔やんでも仕方が無い。ものは考えようです。栄枯盛衰は世の常です。伝統校の衰退は柔道界の新陳代謝・活性化に貢献していると思えば良い。我々は現実から目をそらさず今後何が出来るか考えればよい。一番いけないのは卑屈になることです。敗北を喫したことで怖気や遠慮・おびえや弱気・逃げ腰や消極的・陰気にならないことです。もう失うものはないのです。破れかぶれで開き直ればいいのです。柔道修行の最終目的は『人生の試合』に金メダルを取ることです。人生の勝負には白帯も黒帯もありません。『あれが松大柔道部の男かあ』と言われるような男らしい人材を遺すことだと思っています。数年前から指導者の先生方に要望していた『初心者でもいいから部員を増やしてほしい。』ことが実現するきっかけになればよい。

大学時代の柔道の試合は人生勝負の一里塚でしかない。柔道の試合と同じように人生の試合も、心構え(やる気)と知識(技術)と行動力(体力)が不可欠です。すなわち心技体は全く同じです。柔道の試合は人生の試合の『練習試合』をしているに過ぎないのです。何度負けても諦めずに立ち上がる。人生の勝負は闘争心を持ち続けたものが最終勝利を獲得している。今年をどんな年にするかは指導者の先生方と学生自らが考えるしかない。考えて考えて考え抜いて決意し、決意表明することだと思う。鉄の決意を持って臨めば行動計画はおのずから生ずるものである。弱肉強食(市場原理)のビジネスの世界で生き残ることと同じです。

年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず。少年老い易く学成り難し。柔道が強くなる為には学校の勉強もしなければなりません。勉強に向かう姿勢と柔道に向かう姿勢は同じです。向上心を持つこと、努力すること、辛抱すること、継続すること、みな同じです。生涯を柔道経験者として正々堂々と生き抜くためは生涯を通じて文武両道でなければなりません。私の願いは柔實会会員の皆さんが交流することで、会員の皆さんの知恵と経験を共有し、励まし合い豊かな人生を送って戴くことです。若い学生たちは柔道と同じようにしっかり学業にも励んでほしい。若いうちに文武両道の習慣を身につけてほしい。

平成二十七年四月十八日
柔實会会誌投稿文

『人生は試合の連続』 柔實会会長 二宮秀生

平成二十七年四月十七日リジェール松山において柔実会総会が行われました。総会では収入増となった決算、学生支援資金増額となった予算が報告され承認されました。ホームページの立ち上げ、温山会本部との連携も承認されました。総会の後、興梠温山会会長を招き会員約七十名で懇親会が行われました。
懇親会では第一線を引退された先輩方から貴重な体験談をお聞きすることが出来ました。まさに私自身この先輩方から智恵と経験を戴いた一人です。OB達のこの貴重な経験こそ柔実会の宝だと思っています。そういう意味で私自身柔実会をビジネスのエサ場とし、ビジネスを勝利する為の道場とし、そして挫折した時人生の疲れを癒す実家の様な場所にさせて戴きました。
柔実会では昭和6年の卒業生から現在に至るまでの90年間で約540名の会員がいます。昭和12年から昭和15年まで高商・高専(大学の前身)大会で全国制覇を4年連続成し遂げています。中四国学生柔道大会では常にベスト4に入賞し過去19回の優勝経験があります。私の年代は2度の優勝経験がありま。
私の人生は柔道部抜きで語れません。私自身が先輩方から受けたご恩を後輩たちにバトンタッチする義務があると思っています。私自身の柔道部にまつわる経歴を紹介させて戴き、後輩たちの人生のヒントにして戴ければありがたいと思っています。

私は愛媛県東宇和郡、現在の西予市宇和町の農家の次男として生まれました。宇和中学校柔道部・八幡浜高校柔道部を経て昭和四十五年松山商科大学に入学しました。昭和四十五年といえば藤井徳二郎先輩(初代会長)の尽力で柔実会が発足しています。昭和四十九年藤井徳二郎先輩の紹介で私は株式会社四電工に就職しました。同期の福島副会長も藤井先輩の引きでシャトーテル松山に就職しています。昭和五十一年藤井先輩が支配人をされていたシャトーテル松山(当時松山市唯一のシティホテル)において私達夫婦は結婚式を挙げました。比嘉清松先生(のちの松大学長)を来賓に招き、媒酌人を八木隣一柔道部監督にお願いしました。

就職先の四電工では高知支店・高松本店勤務を経験し、昭和五十二年二十六歳の時、愛媛支店営業部に配属となりました。藤井徳二郎会長の事務局であった山本勝利先輩の後任として柔実会の出納係を担当させて戴きました。福島君は若くしてシャトー企画設計事務所の責任者(その後社長)となっていました。柔実会二代目会長水口義寛先輩が東邦相互銀行の社長をされていました。川中秀夫先輩が伊予信用金庫の理事長をされていました。

柔実会三代目会長となる柳沢正三先輩(後に県議会議長)は若くして愛媛県県議会議員に当選されました。当時は各方面で多くの柔道部の先輩方が活躍されていました。当時不動産業をされていた三好莞爾先輩や田原和人先輩のお手伝いをさせて戴きながら不動産業のイロハを学びました。四電工のサラリーマンでしたが多くの先輩の引き回しで世間を知りました。多くの先輩たちの知恵と経験を授業料も払わずに伝授して戴きました。

そんな先輩たちの指導でサラリーマンをしながら三十四歳で一棟目のマンションを建設しています。その後平成二年三十八歳で四電工を円満退職し、現在の株式会社住宅情報館を創業しました。三十七歳創業時にはもうすでに四棟のビルを建設していました。四電工関係や松山大学OB会(柔道部の先輩や福島君)を仕事のエサ場として経営を立ててまいりました。松山大学と四電工は私にとって心のよりどころ実家の様な大きな存在になっています。

その後福島君の設計事務所で沢山の建物を建てることとなります。平成十八年十二月、福島君と相談し、二人にとって思い出深いシャトーテル松山を十一億三千万円で落札しました。シャトーテル松山は二億円かけて解体し福島君の設計で平成二十一年春、四国ナンバーワンと言われるハイグレードのオフィスビルに生まれ変わりました。そして今春四十三棟目のビル(サービス付き高齢者向け住宅84戸)が竣工しました。

その間、色々な事件がありました。創業まもなくバブル崩壊で銀行融資の総量規制が始まりビル建設プロジェクトが頓挫しました。最初の倒産の危機です。その時、柳沢正三先輩と松田光男先輩に励まされました。何とかピンチを切り抜け、その後、建物の建設と売却を繰り返しました。『建物を一棟建てる毎に寿命が一年縮まる。』と田原和人先輩が言われていましたが私自身実感としてその意味を味わいました。分譲マンションの建設・等価交換・不動産の証券化、不動産業として人のやらないホテルの経営や飲食店の経営もしました。七転八倒苦難の連続でした。何ひとつとして上手くいったものはありません。

リーマンショックの直前では社員数も関連会社を合わせて七十名ほどになっていました。会社資産七十五億円・個人資産十五億円、そしてそれだけの負債を背負っていました。リーマンショックではご多分に漏れず経営史上最大の経営危機に見舞われました。比嘉清松先生はじめ多くの皆さんにご心配をおかけしました。これも銀行の緊急融資で何とか切り抜けることができました。柔道部で二年後輩の杉野常務(現在の柔実会事務局長)とネバーギブアップ精神で大恐慌と戦いました。あの時期のあの緊急融資は奇跡と言われました。

そして昨年、マル査と言われる国税庁の査察官(約七十名)が突然やって来ました。自宅を含め関係先十四か所が同時に強制捜査の対象となりました。戦いは市場だけではありません。映画『マルサの女』と同じ光景です。国家権力との戦いです。国家権力による6カ月に亘る追及も当局の誤解が証明され無罪放免となりました。『勝てば官軍、勝って兜の緒を締めよ。勝てば気が緩む、油断が生まれる。』八木隣一先生の口癖でした。敗者復活戦において、査察と言う災難は最大のチャンスとなりました。塞翁が馬、国費によって会社と私の身体検査が実施されたの。

そして平成二十七年今年の一月に東証一部上場会社とM&A(企業の合併)に成功したのです。これは救済合併ではありません。潤沢な資金力で西日本市場を狙う戦略的合併です。本社の連結決算ですから上場会社の手足の一部になりました。ついに家業を社業にすることが出来ました。私は念願通り上場会社の雇われ社長になったのです。そして連帯保証人と言う重い十字架を下ろすことが出来たのです。今後の住宅情報館は豊富な資金力を背景に、さらに大きな仕事に取り組む事が出来ます。私自身第二の創業ととらえています。チャレンジとアドベンチャーと言う意味では、私にとって人生第三ステージの開幕(試合開始)だと思っています。

良いことも始めがあったものには必ず終わりがやってくる。悪いことも始めがあったものには必ず終わりがやってくる。私の座右の銘『禍福終始、禍福は糾える縄の如し、人間万事塞翁が馬』を身をもって体験しました。語っても語っても語り切れない人生ドラマがありました。チャレンジと挫折、何度も訪れた会社の危機、それを生き延びる事が出来たのが柔道部で培ったネバーギブアップの精神でした。首絞めで落とされても参ったしない。腕を折られても参ったしない。ピンチの時励ましてくれたのも柔道部の仲間たちです。

二代目会長の水口義寛先輩が始められた一水会(毎月第一水曜日に実施されているOB会例会)があります。私は一水会に参加して、ビジネスのアドバイスはもとより、より良い人生を生きる、人生を豊かにする沢山のヒントを先輩方から戴きました。今あるのは柔道部と柔実会のおかげです。今度は私が後輩たちにお返しをする順番になったと自覚しています。多くの後輩たちのお役に立ちたい。そんな思いの今日この頃です。

柔實会会長就任ごあいさつ

平成26年4月27日

柔實会会長
二宮秀生

拝啓 風薫る5月 会員および関係者の皆様 お変わりなくお過ごしのこととお慶び申し上げます。

さて  平成26年4月26日の柔実会総会において、関谷幸男会長がご勇退され、僭越ながら不肖私が後任の会長に選任され、2年間柔実会のお世話をさせて戴く事となりました。

初代藤井徳次郎会長は四国電力OBで柔実会生みの親であり、情熱の人でした。

二代目水口義寛会長は波乱万丈の人生で東邦相互銀行社長になられました。三代目柳澤正三会長はサラリーマン経験後政治家を目指し、県議会議長にまでなられました。

そして四代目加藤陸大会長は軽量級でありながら松山大学柔道部最初の黄金期を築かれ、五代目関谷幸男会長は愛媛県県信連の現役理事長をされています。

私はそんな会長方の後任となります。

会長をされた諸先輩の偉大な功績を受け継ぎ、柔実会の発展と柔道部学生支援ために甚だ微力ではございますが専心努力する所存です。

会長という重責を全うするためには是非とも会員の皆様方の格別のご支援を頂戴しなければなりません。

何とぞ宜しくお願い申し上げます。