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陽転思考、明るくふるまうことの大切さ : 松山大学柔道部・柔實会

陽転思考、明るくふるまうことの大切さ

試合の前、暗くなってはいけない。深刻になってはいけない。暗くふるまえば幸運の神は逃げていく。栄養会でもやって陽気にふるまうことです。ハッタリでもよい。『俺がやったるが!』相手を飲み込む陽転思考が大事です。試合が近づいてきた。NHK大河ドラマ『真田丸・北条滅亡』参考にして戴きたい。

松山市住宅情報館会長日記 『真田丸・北条滅亡』
 NHK大河ドラマ真田丸、今日は『北条滅亡』。真田信繁(のちの幸村)は沼田城の帰属問題で激論を戦わした北条の重臣・板部岡江雪斎からの要請で、豊臣陣営に降伏するよう北条氏政の説得に向かう。もうすでに北条の出城は殆どが落とされている。残るは小田原城本丸だけになっている。その北条は秀吉の20万の大軍に囲まれている。信繁の説得に対して『生き恥を曝そうとは思わん。』と、氏政は北条家のプライドを捨てようとしない。

 仇敵である氏政を殺さない為に徳川家康・上杉景勝・真田昌幸が密かに氏政と接触し降伏を促す。『ワシは己の為の戦で死に花を咲かせたかった。貴殿たちは誰の為の戦をしているのか。』耳を貸さない4代目氏政は切腹となり5代目氏直は出家し高野山に幽閉された。北条早雲から続いた名門北条は4代目で幕を引くこととなった。

 今日の見どころは北条攻めに遅参した伊達正宗の大芝居である。秀吉直参大名と秀吉の勢揃いの前で、秀吉を油断さすために餅つきを自ら披露して、ズンダ餅を秀吉に献上した場面である。最悪の事態を陽気にふるまって、怒りを笑いに替えて危機を回避する。ひょうきん好きの秀吉は自ら餅つきに参加して戦勝祝いの宴は終了した。正宗は信繁に『もし氏政がワシより先に降伏していたら自分が切腹の立場になっていた。最後の抵抗者にならずに済んだ。ワシの人生は綱渡りじゃ。』と言って安堵する。

 家康・景勝・昌幸は正宗による一世一代を大芝居しかもピエロ喜劇役者の芝居を見て正宗の本心を見抜くことが出来なかった。『もっと気骨のある男と思っていた』と、彼ら3人の期待は裏切られ失望させることとなる。しかし正宗の本心は家康・景勝・昌幸と同じように秀吉の天下統一を悔しがっているのだった。『20年前に生まれていたら秀吉の席にワシが据わっていたはず。』と悔しがる。

 かつて秀吉も同じようなピンチを経験している。信長から柴田勝家とともに上杉謙信攻めを命じられたが陣中で勝家と口論となり戦線離脱した。秀吉は中国攻めの最中に勝家の手伝い戦で北陸に回されたのが不満だった。これに対して信長は秀吉を激怒して閉門申しつけた。切腹を申し付けられても不思議はない最大のピンチだった。その時、秀吉は謹慎中の身にもかかわらず毎日宴会を開きどんちゃん騒ぎに明け暮れた。一か八かの大勝負だった。『俺は間違っていないし、殿(信長)に対して二心などない。』事を明るく振舞うことで自らの潔白を証明した。明智光秀は信長の仕打ちを深刻に捉え謀反を起こし自らの破滅の道に進んで行った。陽気に明るくふるまう事がいかに大切かが分かる歴史的事実である。

 松下幸之助は出世の秘訣は愛嬌だと言っている。愛嬌やひょうきんさ、ユーモアあふれる言動は敵を和ませ和解につながる。何時の時代も糞真面目は切腹の道に進んでいくことになる。要注意だ。危機突破の道は陽転思考しかない。ピエロの奥に潜む虎視眈々とした野望、野心と恭順の二心が同居する戦国大名たち、この時、天下分け目の関ヶ原の合戦の10年前の出来事であった。
柔實会会長 二宮秀生