四苦八苦

四苦八苦   

かんぽの宿を経営されている池田寛という先輩がいる。松山大学柔道部の先輩である。私が18歳の時からお付き合いをさせていただいている。70歳が近いにもかかわらず、精力が全く衰えない。20-30年前まで病気がちだった先輩だったがココ最近、益々元気になり気力精力の衰えを知らない。最近、かんぽの宿の払い下げを受け経営意欲満々になっている。東京に店を出し道後温泉と皆生温泉を手に入れ、更に県外の温泉施設を購入しようとされている。その意欲は何処から来ているのだろうか。

そんな池田先輩を訪ねてみた。かんぽの宿が自分の名前を付けて『寛歩の宿』に名称変更されていた。『二宮君、人生は四苦八苦だよ。四苦八苦とはなあ、・・・』とありがたい説教を戴いた。もうかれこれ50年に近いお付き合いをさせて戴いている。この先輩も私と同じように死ぬ気になっていることを感じた。自殺ではありません。死ぬ気になれば恐い物がなくなります。人生を達観されていると言う事です。

人生は七難八苦で四苦八苦。人生は苦難困難、苦しみの連続と見る。これが生きている証拠です。人間は四苦八苦の中でつかの間の幸せを味わう事が出来る。『人間塞翁が馬、人生は禍福が織りなす縄のごとし。禍福終始、成功して奢らず失敗して腐らず。忙で苦しみ閑で苦しむ。』これが私二宮秀生の人生観です。人生はコインの裏表と同じです。全てにおいて良い面には悪い面が隠れており、悪い面には良い面が隠れている。私は何があっても何が起こってもコインの裏側を見て自分の覚悟を決めることにしている。
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四苦八苦とは思うようにならない四つの苦を言うそうです。①生・②老・③病・④死を四苦と言うそうだ。赤ん坊として生まれてくる時が苦の始まりであり、泣きながら生まれてくる。思うがままにならない四つに加えさらに環境が加わる。⑤愛別離苦(あいべつりく= 愛する者と別離すること⑥怨憎会苦(おんぞうえく= 怨み憎んでいる者に会うこと⑦求不得苦(ぐふとくく= 求める物が得られないこと⑧五蘊盛苦(ごうんじょうく= 人間の肉体と精神が思うがままにならないこと。思うようにならない四つの苦と合わせて八苦と呼ぶそうだ。

四苦八苦とは仏教用語で、あらゆる苦しみを意味するそうです。南北朝時代、存覚(ぞんかく1290-1373)というお坊さんが仏教書を書いている。その中で『三界六道みなこれ苦なれども、四苦八苦はことに人間にあり』とある。以下調べてみた。

人の世の定めなき有様をよくよく考えてみれば、本当にはかないものは、生れ、育ち、死んでゆく幻のような生涯である。まだ人が一万年の寿命を受けたということを聞かない。一生はすぐに過ぎてしまう。今では、誰も百年間体を保つことはできない。死を迎えるのは、私が先だろうか、人が先だろうか?今日かも知れぬ、明日かも知れぬ。先に死ぬ人も、生き残る人も、生死の別れは絶え間がなく、草の根もとの雫と、葉の先の露のように、寿命の長短があっても、人はいずれもはかなく死んでゆく。

だから私たちは、朝には若々しい顔つきをしていても、夕方には白骨となってしまう身なのです。現に無常の風が吹いてきて、二つの目がたちまち閉じ、最後の一息が永久に切れてしまえば、せっかくの血色のよい顔も色を失って、桃や李の花のような美しさを無くしてしまう。その時になって、親族の者が集まって嘆き悲しんだとしても、もはやなんの甲斐もないでしょう。そのままにしてもおけないので、野外に見送り、夜半に荼毘に付せば、煙となってしまって、ただ白骨のみが残るのです。悲しみはとても言い尽くせない。

だからこそ、人の世は老少不定のはかない世界であるからこそ、いずれの人も、早く後生の一大事を心にかけて、深く阿弥陀仏をおたよりして、念仏申すべきである。存覚和尚による四苦八苦の説明は以上である。700年前のメッセージである。
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インターネットが普及し人工知能が生まれ始めた昨今です。今を生きている現代の人達も古代の人達も、四苦八苦、おなじ苦しみを背負って生きていたことが分かる。四苦八苦は人間に与えられた苦しみであるが、四苦八苦の中に生きる喜びを見付けることができると思う。四苦八苦の中に四楽八幸があると思う。艱難苦難の中に色々な楽しいこと色々な幸せを見ることができる。四楽八幸は私が創った造語です。池田寛先輩はまさに四苦八苦を楽しんでおられるように感じた。学生時代の柔道の練習の苦労は人生を通しての哲学になっている。    柔實会会長二宮秀生