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29年度中四国学生柔道優勝大会 : 松山大学柔道部・柔實会

29年度中四国学生柔道優勝大会

29年度中四国学生柔道優勝大会                                                柔實会会長二宮秀生  
 5月14日平成29年度中四国学生柔道優勝大会(団体戦)が岡山武道館で行われた。昨日の予選大会で上位4校を選び、今日、シード校の4校を加えた計8校によって優勝が争われた。昨日の予選大会で2位となった広島大学が我が母校松山大学の今日の第一試合相手だった。松山大学の平均体重79.5キロに対して広島大学の平均体重78.5キロとほぼ互角の体重だった。梶原・好永・伊予木が一本勝ちし、斉藤が判定で勝って4対1で快勝し準決勝に進んだ。準決勝では昨年の覇者・徳山大学である。徳山大学は体重で100キロ以上の選手が4名いる。平均体重が95キロと言うことは15キロの体重差がある。体力の差、実力の差はどうすることもできず、4対0の完敗となった。

 中でも目を引いたのが2年生の斉藤大雅君の試合ぶりだった。松山商大時代の柔よく剛を制す(小よく大を制す)伝統を彷彿させる試合ぶりだった。私たちの学生時代当時も他校と比べて大きい選手はいなかった。当時の練習は肉体の限界を試すような毎日の練習だった。決して科学的・合理的ではなかった。他校に負けないダントツの練習量からスタミナで勝つ試合が多かった。スタミナと根性が松山商大の真骨頂だった。腕を折られても参ったせず引き分けた先輩がいた。怪我をしても気力と礼節を失わず武道家らしく道場を降りた。怪我をした先輩に会場から拍手が起こった。私たちの時代は4年間で2度優勝をした時代だった。五島昌明元部長が中四国学生柔道連盟会長に就任された時が最後の団体優勝だったように思う。昨日選手たちを前に『死ぬまでに優勝旗を見せてくれよ。優勝旗を見るまでわしゃ死ねんが。』冗談とも本心とも取れぬ言葉が発された。

 OBたちは後輩たちを見捨ててはいない。きっとやってくれると信じている。同じ勝っても勝ちっぷりがあり、同じ負けても負けっぷりがある。負傷者となった選手の振る舞いについて我が母校とは思えない振る舞いがあった。現代社会は礼儀や根性より安全を優先する時代である。将来、企業戦士になった時、病気やけがを理由にせず、体を張って命懸けで取り組むことが多い。ボロボロになりフラフラになっても根性で立ち上がる。社会人になった時、脅迫や攻撃などの危機に遭遇した時、想定外の事故や事件が起きた時の振る舞いに通じる。今日の試合には未だ未だ反省点がある。と言う事は心技体、努力次第で伸びしろがあると言う事でもある。先生も指導のし甲斐があると言うものです。ベスト4までが全国大会に出れることから6月24日の全国大会に出場することになる。私も応援に行く。6月24日夕方、東京で柔實会東京支部で懇親会が予定されている。全国の仲間と会えることを楽しみにしている。