空腹であれ、愚かであれ
『空腹であれ、愚かであれ』
アップル社を創業したスティーブジョブズはもうこの世にいない。私より4歳年下(1955年生)にもかかわらず2011年(平成23年)に死んでしまった。あまりにも若すぎる56歳の死だった。大学を出ていない彼がスタンフォード大学の卒業式で伝説となったスピーチがある。3つのテーマについて話している。1つ目は点と点をつなぐ話です。2つ目は愛と敗北の話、3つ目は死について話している。天才は数奇な運命で生まれ短命で終わるものなのか。
1つ目は点と点をつなぐ話です。彼は大学を6か月で退学している。生みの母親は未婚の大学院生だった。彼女は生まれたら彼を養子に出そうと決めていた。養子の引き受け先の夫婦は大學を出ていなかった。里親の両親が彼を大学に行かせる約束をしたので実母は養子縁組にサインをしたと言う。17年後彼は実際に大学に入る。親の貯蓄を食い潰していく学生生活と興味が持てない勉強と決別する為に退学を決意した。そして興味の持てる面白そうな授業にだけ集中できた。美しいフォント(デザイン文字)はここで生まれたと言う。彼は大学退学を自分の人生で最良の決断だったと言っている。彼は根性・運命・カルマ・何でもいいから信じることが大事だと言っている。過去の経験の点と点が繋がる事を信じれば思うように生きることが出来ると言っている。
2つ目は愛と敗北について、実家の車庫でアップル社を創業したのは20歳だった。ウォズと2人で創業して10年後には4000人を越える社員数となり20億ドル企業になっていた。そしてその1年後に経営方針で仲たがいし、不思議なことに自分が始めた会社を首になっている。シリコンレバーから逃げ出したいほどに落ち込んだが自分の仕事が好きで投げ出す気にはならなかったという。その後5年の間にネクストと言う会社とピクサーと言う会社を設立し世界初のコンピューター映画を創った。そのころ恋に落ちた女性と結婚した。アップル社を解任された時が人生最良の出来事だったと振り返っている。その後ネクストはアップルに買収され再びアップルにおいてアップル社再生の仕事に取り掛かる。『彼は人生には頭をレンガで殴られることがある。その時くじけないこと。信じる仕事を追い求めること。探し続けること。落ち着いてはいけない。』と言っている。決してギブアップしてはいけないと言っている。
3つ目は死について。彼は17歳の時『毎日を今日が最後の日と思って生きなさい。』と言う言葉を本の中で見つけたと言う。彼にとって強烈な印象だった。彼は大きな決断の時いつもこの言葉を思い出したと言う。2004年49歳の時すい臓がんを診断された。余命3カ月から6カ月だと宣告された。精密検査の結果、幸運にも手術が出来る癌であった。癌を通して彼は彼の人生哲学が確立して行く。『死は生による唯一で最高の発明品、古いものが消え去り新しいものに道を開ける働きである。新しいものとは君たちである。君たちもやがて古くなり消え去るのです。君たちの持ち時間も限られている。最も必要なことをやりなさい。』と言っている。『年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず』の境地である。そして最後に『stay hngry,stayfoolish.(ステイハングリー、ステイフーリッシュ)貪欲であれ、愚直であれ。』で締めくくられている。
私も柔道と言う寄り道がなかったら今の自分はなかったと思っている。私も長い人生で頭をレンガで殴られる経験を何度もしている。サラリーマンの時も創業してからも何度も失神している。仮死状態を経験している。柔道では首を絞められ失神を何度も経験している。私は失神から目覚めたら立ち上がって戦った。不思議なことに瀕死・臨死を経験して甦った時は大きくなって強くなって甦っている。柔道の試合と同じで絶対にギブアップしないことだ。人間死ぬ気になったら何でもできる。そして『年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず』の境地に行きつく。世界のスティーブジョブも米粒の様な中小企業の経営者も同じ心境であることが分かる。『なんや先輩も世界のトップも同じなんや。俺たちも同じなんや。成功は自分の勝利を信じることが出来るかどうかなんや。』と思うことが出来たら儲けものだ。
柔實会会長 二宮秀生