中四国学生体重別団体柔道優勝大会
中四国学生体重別団体柔道優勝大会 柔實会会長二宮秀生
中四国学生体重別団体柔道優勝大会が26日27日に山口県周南市総合スポーツセンターで行われた。松山からは私と福島副会長・本多副会長・杉野事務局長の4名が26日の前日から応援に駆け付けた。現地で今橋先輩・同期の武本君・宮下君と合流して、最寄りの居酒屋で必勝祈願祭を行った。昭和43年卒業の田原先輩たち同期一行は毎回応援に来て戴いている。松山大学は毎回のシード校である。梶原キャプテン率いる我が母校は1回戦を山口大学に7対0で勝ち、2回戦は岡山理科大学に6対0で勝って例年通りベスト4を確保する。準決勝は岡山商科大学に0対5で敗れ3位決定戦にまわる。
3位決定戦は全国大会をかけて東亜大学と戦うことになった。次峰の市川が足払いで1本を取り、逃げ切りを図って大将戦に持ち込むが、攻められ押し込まれて遂に1本を取られる。体力的精神的に疲労の試合内容だった。抽選によって66キロ級で雌雄を決することとなるがコレも又1本負けとなってしまった。前日の個人戦の体力消耗が原因しているのだろうか。私たちの時代は団体戦がすべてだった。他校の監督が『今日の松山大学には覇気がない。』と言い放たれた言葉が身にしみる。相手がいることだから結果は時の運の部分がある。だが試合内容に問題がある。確かに練習量不足による心肺能力欠如(夏バテ)を感じた内容だった。肉体的精神的限界極限状態から本当の勝負が始まる。勝負事は限界極限状態でどれだけ耐えチャレンジできるかが勝負の分かれ道となる。
私の経営人生では何度も絶体絶命のピンチを経験している。人生の勝負は柔道の試合と同じである。絶体絶命になった時の根性が松山大学の真骨頂だった。私たちの時代どこの学校にも負けない練習量があった。絶対にバテない練習量だった。かつて延長戦・代表戦はタフさ勝負となるから松山大学は有利だった。50年前の東雲階段ダッシュ10本、元立ち10本、あれは体力の限界にチャレンジする鬼の練習だったと思う。あれが私の仕事観と経営哲学を創っている。厳しい練習には愛がいる。愛がなければ虐待になるからだ。選手指導も難しい時代になった。今回は全体を通して試合運びに主導権が取れておらず積極性に欠けていたと思う。チームの結束力について『一頭の羊に率いられた狼の集団は、一頭の狼に率いられた羊の集団に敗れる。』という諺がある。監督とキャプテンの決意と統率力が勝敗に大きく影響する。4年生の権威(指導力)の欠如、学年における長幼の序の欠如が原因ではないだろうか。日頃の振る舞いが試合現場に現れる。勝負は時の運、負けても負けっぷりのよい負け方が見たかった。学生は学生なりに頑張ったことだろうが、キャプテン・マネージャー・トレーニング担当がそれぞれの役目を果たしていたのだろうか。OBと学生との架け橋をするのが私の役目である。応援の先輩方と学生を繋ぐことが私の仕事である。試合後、報告会と慰労の言葉を前に、無言で帰路に向かう先輩たちを引き留めることもできなかった。OB会を纏めることが出来ない以上、私自身、会長としての進退を考えなければならない。