年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず

『年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず』  

唐代の詩人、劉希夷と言う人の『白頭を悲しむ翁に代わりて』と題する詩の第4節にある部分です。中国ですから桃(もも)か李(すもも)の花を見て人生のはかなさを詠っている。『毎年毎年、花は変わることなく咲き、そして散る。昔の愛人はもはや洛陽にはいない、今のこの季節、昔のあの頃のように若い恋人同士が風に散る花を眺めている。思えば、寒い冬が終わって春になると、あの頃と同じように花は美しく咲くけれど、一緒にこの花を見た人はもはやこの世にはいない。若く美しい君達に云っておく。若いと思っているがすぐ年老い、黒い髪も白くなってしまう。歳月は待ってくれないぞ。』と若者を戒めている詩である。

 日本では花と言えばソメイヨシノ桜の満開を言う。満開の桜の下では天国にいる様な感動を味わう。花は毎年同じように咲くけれど、それを見ている人は決して同じ人ではない。青年老い易く学成り難し。学生時代柔道着で松山城の桜の花の下にいた私だが、学問は中途半端のまま、人格的にも悟りの域に達することもなく、気が付けば押しも押されぬ初老になっている。藤井徳次郎柔實会初代会長が亡くなって久しい。三代目柳澤正三会長が亡くなって間もなく7年が来る。あれから四十五年、毎年同じように新入生が入部して歓迎コンパを行い、学生たちは毎年同じように中四国学生柔道大会の試合に臨み、泣いて笑って追い出しコンパで卒業していく。OB達もあの頃と同じように学生たちと関わる。同じ光景であるが学生もOB達も顔ぶれは変わっている。そして私達OBもいずれ居なくなる。

 時代は変わり顔ぶれは変わっても変わらないものがある。いや変えてはならないものがある。先輩たちから受け継いできた松山商科大学建学理念と柔道修業理念である。松山大学の校訓・三実主義(真実・実用・忠実)は世界に通じる普遍的成功哲学だと私は思っている。校名は松山高商から松山経理専門学校、松山商科大学を経て現在の松山大学に校名を変更している。商科その名の通りわが母校は実業家であった新田温山(長次郎氏)が新時代の実業家(商売人)とその指導者となるべき若者を育成する為に建学されたものである。校訓における①真実は洞察力だと思っている。人間として何が正しいか、永遠不変の真理・道理・正義とは何か、商売人として正しい洞察が必要だと言っている。②実用とは実践すること。学問とは格物致知・事上の練磨、学ぶこととは実践すること、学んだことを更に高めること。使わない知識や使えない人脈は無いのと同じだと言っている。③忠実とは信用である。弱肉強食の市場原理の中であっても商売の原点は信用である。節操を失わず人間として真心のこもった付き合いが大事だと言っている。私はこの三実こそ世界に通じる成功哲学だと思っている。

 先輩たちから受け継いできた松山大学柔道部修業理念は何か。その昔、加納治五郎が講道館柔道を創設したことと重なる。今の学生たちに言いたい。一に勉強二に柔道である。学問こそが身を助ける。今も昔も教育水準のレベルが収入のレベルとなっている。明治維新後、元士族の子弟たちが現在の東京大学で学んでいた。治五郎は元士族の子弟たちの横暴を見て、知識という学問(東大卒)だけでは人間としては半人前、文武両道が不可欠であることに気付いた。学問の習得で不足するものを柔道で補おうとした。柔道修業の目的を精力善用・利他共栄とした。強くなる事が出発点にある。柔道の修行を通して身体を鍛錬し精神を修養する。勝ちっぷり負けっぷりを学び惻隠の情を学ぶ。柔道修行の究極の目的を、技の練磨と心の練磨を通して、自己を完成し、世のため人のために尽くすことであり、社会に貢献することであるとした。

 昨年八月三十日体重別団体優勝大会(団体戦)が愛媛県武道館で開催され、歴史的敗北を喫した。監督とコーチ、学生たちも先輩方もあの時の悪夢を引きづっている。結果は結果として受け止め悔やんでも仕方が無い。ものは考えようです。栄枯盛衰は世の常です。伝統校の衰退は柔道界の新陳代謝・活性化に貢献していると思えば良い。 我々は現実から目をそらさず今後何が出来るか考えればよい。一番いけないのは卑屈になることです。敗北を喫したことで怖気や遠慮・おびえや弱気・逃げ腰や消極的・陰気にならないことです。もう失うものはないのです。破れかぶれで開き直ればいいのです。柔道修行の最終目的は『人生の試合』に金メダルを取ることです。人生の勝負には白帯も黒帯もありません。『あれが松大柔道部の男かあ』と言われるような男らしい人材を遺すことだと思っています。数年前から指導者の先生方に要望していた『初心者でもいいから部員を増やしてほしい。』ことが実現するきっかけになればよい。

 大学時代の柔道の試合は人生勝負の一里塚でしかない。柔道の試合と同じように人生の試合も、心構え(やる気)と知識(技術)と行動力(体力)が不可欠です。すなわち心技体は全く同じです。柔道の試合は人生の試合の『練習試合』をしているに過ぎないのです。何度負けても諦めずに立ち上がる。人生の勝負は闘争心を持ち続けたものが最終勝利を獲得している。今年をどんな年にするかは指導者の先生方と学生自らが考えるしかない。考えて考えて考え抜いて決意し、決意表明することだと思う。鉄の決意を持って臨めば行動計画はおのずから生ずるものである。弱肉強食(市場原理)のビジネスの世界で生き残ることと同じです。

 年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず。少年老い易く学成り難し。柔道が強くなる為には学校の勉強もしなければなりません。勉強に向かう姿勢と柔道に向かう姿勢は同じです。向上心を持つこと、努力すること、辛抱すること、継続すること、みな同じです。生涯を柔道経験者として正々堂々と生き抜くためは生涯を通じて文武両道でなければなりません。私の願いは柔實会会員の皆さんが交流することで、会員の皆さんの知恵と経験を共有し、励まし合い豊かな人生を送って戴くことです。若い学生たちは柔道と同じようにしっかり学業にも励んでほしい。若いうちに文武両道の習慣を身につけてほしい。
柔實会会長二宮秀生