越智嶺三先輩のご冥福を祈る

消息が途絶えていた越智嶺三先輩が昨年の10月21日に亡くなられていたことが分かった。京都市でお住まいと言う事になっていたが松山市御幸町の墓地に埋葬されていると言う。他人に弱みを見せるのが嫌いな性格の為、晩年は意識して後輩たちとの接触を避けておられた。電話での話が最期の言葉となった。昨年の春、柔実会(松山大学柔道部OB会)に50年分の会費が送金されて来た。『越智先輩らしいなあ。なんかあったんやろうか。』今考えると死を覚悟しての送金だったと思う。最期の最期まで越智先輩らしい行為だった。愛する後輩たちに見せた最期の見事な遺産による幕引きだったと思う。私達後輩は道場と遠征、試合会場と夜の街、様々な場面で越智先輩から物心両面において多大の支援を戴いた。随分可愛がって戴いた。柔道部と後輩が命の様な先輩だ。こんな先輩がいて松山大学柔道部の伝統が今日まで続いているのである。

とにかく豪快な先輩だった。夕方、ひょこっと柔道場に現れた越智先輩はマネージャーにパンパンに張った財布を渡し『酒10本(10升)とつまみを買うてこい。』と言われ、道場で夜遅くまで宴会をしたものだ。あれで学生は酒を覚え酒が強くなった。『剣道部も来て飲め。食え。』金に糸目をつけない大振舞いの先輩だった。『ええ飲みっぷりじゃ。』飲みっぷりが良いと目を細めて褒めて戴いた。『ええ食いっぷりじゃ。』食いっぷりが良い喜んで戴いた。未成年も下戸もあったもんじゃない。何人もの学生を連れて『朝まで付き合え。』店が閉まったので鷹の子のモーテルを貸し切って酒盛りをして騒いだのを思い出す。今では通用しない話だが夜の街で『社会勉強じゃ。大人の遊びもせにゃいけん。』と学生たち全員にお金を配っていた。真似のできない桁外れの凄い先輩だった。

柳澤正三先輩と仲の良かった越智嶺三先輩、天国で愉快に大酒を飲んで騒いでいることと思う。一昨日、スティーブジョブの人生観を掲載した。『死は生による唯一で最高の発明品、古いものが消え去り新しいものに道を開ける働きである。新しいものとは君たちである。君たちもやがて古くなり消え去るのです。君たちの持ち時間も限られている。最も必要なことをやりなさい。』と言っている。柳澤正三先輩も『年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず』の心境を語っていた。40年50年はあっという間に過ぎ去っていく。泣いたり笑ったり喧嘩をしたり、お二人の元気な姿を昨日のことのようにに思いだす。越智嶺三先輩のご冥福を祈る。安らかにお眠りください。